大髙醤油 昭和物語 ③戦後 父からの頼み
こんにちは。大髙醤油先代社長、現在は会長の大髙和郎です。
シリーズでお伝えしています大髙醤油昭和物語、第3回目をお届けします。
今回から話は戦後になります。
私が大髙醤油で本格的に仕事をするようになったのが昭和40年。
それに至るまでの経緯に触れたいと思います。しばし個人的な経歴になりますがご勘弁ください。
戦後、父・福三が中国の戦地から復員して、醤油蔵もようやく元の体制に戻りました。
私は地元の高校を卒業後、昭和33年に早稲田大学商学部に入り、親元を離れ東京暮らしを始めました。
ちなみに、六大学野球のスターで私の地元からも遠くない千葉県佐倉市出身の、長嶋茂雄さんが巨人軍に入団したのもちょうどこの年です。
父は私に対して「家業を継げ」とは一言も言ったこともなく、私もまったく無関心でした。
大学時代には、当時気鋭の経営学者・坂本藤良さんが主宰し、やがてノンフィクション作家として活躍する上坂冬子さんも働いていた「日本リサーチセンター」でアルバイトをしていました。
アメリカなどの最先端の経営学に触れるのは大変魅力的で、こうしたジャーナリズムやアカデミズムの世界で生きていきたいと志望するようになっていました。
そんな中、大学卒業を間近に控えた頃です。
父・福三が胃潰瘍と胆嚢炎で入院したとの報せを受けます。
急いで見舞いに行くと、病床の父がまず言ったのが「お前、跡継いでくれ」でした。
今でも不思議なのですが、私はすぐ、何の躊躇もなく「わかった」と返事をしました。
それまで憧れていたジャーナリズムやアカデミズムへの未練は、その時きっぱり消えたように思います。
やがて退院した父は、私に「新宿の田村さん」のところへいくように命じます。
なんでも醤油や味噌のセールスマンだそうで、各地の醸造蔵に幅広く付き合いがあり、父にとって仕事上の心強いパートナーでもあるとか。
よくわからないまま、渡された地図をたよりにその田村さん宅を訪ねました。
姿を現した田村さんは父よりずっと年上の、お爺さんと言っていい人でした。
「ぼっちゃんが醤油屋を継ぐんですね」
ぼっちゃんと呼ばれたのはこの時が初めてでした。
「大学を卒業したらすぐ、ここ、茅ケ崎の林屋へ行ってください。酒問屋です」
つまり、卒業してすぐ実家で仕事を手伝うのではなく、しばらく他所の会社に修業に出ろと言うのです。
すっかり面食らってしまった私に、田村さんはこう釘をさしました。
「いいですか、ぼっちゃん。大学でどんな勉強をしたか知りませんが、醤油屋に頭脳は必要ありません。全部忘れて結構です。必要なのは、体力です」
なんだか嫌な予感がしてきたな、と思ったものでした。
今回はこのへんで失礼します。
次回は、修業先、林屋さんでの思い出などをお話します。
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