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醤人ブログBLOG

大髙醤油 昭和物語 ②戦時中 親方と蔵方

こんにちは。大髙醤油先代社長、現在は会長の大髙和郎です。

 

前回に引き続き、昭和の時代の大髙醤油にまつわるお話をさせていただきます。

 

 

私が生まれた昭和13年の頃には、経営は父の大髙福三が務めていました。

しかし日中戦争、その後に始まる太平洋戦争のとき、父・福三に二度の赤紙(召集令状)が届き、終戦まで中国戦線に出征していたので、主人不在の時期が長く続きました。

 

その間、醤油蔵のリーダーとして製造を担ったのが、「親方」と呼ばれていた岩澤さん。地元の成東(現・山武市)の方です。やせ型ですが身体の大きな強そうな人でした。父より年上の岩澤さんは召集されずに済んだようです。

 

岩澤親方の部下は15人ほど、彼らは「蔵方(くらかた)」と呼ばれていました。

 

旧出荷樽詰場

 

今では加工品としてつゆやたれを幅広く製造している当社ですが、当時(そして戦後しばらくまで)は醤油のみを製造・販売していました。

 

原料はすべて国産の大豆と塩、そして京都や愛知などの麹屋さんから購入する「麹菌」。

大豆を高温の大きな窯で蒸して、炒って挽いた小麦と混ぜ、人肌より少し温かになったところで麹菌を加えて3日寝かし、その後に飽和食塩水(塩分27%)と混ぜて半年以上仕込みます。

均等に発酵させるため、蔵方たちは毎日、かき混ぜる作業を続けます。この状態の醤油を「もろみ」と言い、かき混ぜる作業を「もろみかき」と言いました。

この1年ほどかかる工程を経て、醤油が完成するのです。

 

最後に、岩澤親方が味や色あいを確認するのですが、気に入らないと躊躇なく樽の醤油すべて棄てるように命じていました。

子どもだった私はよく蔵を覗きにいったものですが、せっかく造った醤油を蔵方たちが棄てているのを見て、もったいないなあと思ったものでした。

あの頃は、目の前の小川に醤油を流して棄てても平気な時代だったんですね。

 

当時の蔵には風呂釜があり、仕事終わりの蔵方たちに混ぜてもらって一緒に入ったのをよく覚えています。

蔵方たちは喧嘩っ早く、休憩中は花札などのばくちをしたりして、荒っぽい面も多分にありましたが、風呂の中では冗談を言ってふざけあって、私とよく遊んでくれました。

 

終戦は昭和20年、父・福三の復員はその二年後でした。

食料も乏しく厳しい時代でしたが、醤油蔵にはあまり不景気な空気も感じられず、小学校に上がったばかりの私にとっては、のどかな時代だったように思います。

 

今回はこのへんで失礼します。

次回から、戦後の大髙醤油についてお話したいと思います。

 

昭和22年秋 父・福三 戦地より復員(前列中央が福三、その左が和郎)

 

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