大髙醤油 昭和物語 ①戦前 醤油蔵の朝の音
こんにちは、大髙醤油先代社長で、現在は会長の大髙和郎です。
大髙醤油は創業200年余り。私は昭和13年にこの家で生まれ、その後、醤油醸造と販売に携わり、気がつけば今年で80歳を迎えます。
今回から、シリーズで私の幼い頃から社長としてこの会社を切り盛りしていた昭和の時代の思い出をご紹介したいと思います。
なにぶん記憶がたよりの昔話ですので、うろ覚えの点もあるかと思いますが、どうぞご容赦の上お付き合いください。
第1回目は、幼い頃、戦前の思い出です。
「とんとんとんとん、てけてんてけてん、とんとことんとん、てけてんてん…」
醤油蔵に近接する実家で、私は物心ついた時分から、毎朝5時前にはこの音で目を覚ましていました。
とてもリズミカルなこの音色。
毎朝、樽職人さんが、醤油蔵の片隅で、醤油を詰める木製の樽を、木槌でたたきながら補修するときの音なのです。
醤油は毎朝工場でその日の出荷分が絞られます。当時の蔵の従業員は15、6人だったと思います。
醤油を次々と樽につめ、取引先のお店に牛車で配達し、それぞれの店頭に樽が置かれます。樽の下の部分の出し口から量り売りで売られていました。
お客さんは容器を持参で、醤油を買いにくるのが当時のごく当たり前の風景でした。
樽が空になると、それを回収する業者さんがいて、また別の工場やお店で使われていました。
空樽、空瓶そのものが立派な商品として流通していた時代でした。
ですので、うちの工場にも樽の流通業者を通じてどこかで使われた樽が届きます。
あちこち巡った樽は破損しているため、樽職人が毎朝、木の表面を特殊なカンナで削って整え、漏れがないように大急ぎで補修をして出荷に間に合わせていた、というわけです。
木の樽とともに、一升瓶も、空き瓶回収と流通を担う業者さんがずいぶん多くいたと記憶しています。
今ではペットボトルやプラスチック製の容器が完全に主流になり、かつての樽屋さん、瓶屋さん、それを修理する樽職人もめっきり見なくなりました。
しかし幼い頃の思い出として、あのテンテケテンの小気味よいリズムは、私の身体に自然にしみついていて、つい最近のことのように思い出すことができるのです。
今回はこのへんで失礼します。
次回は、太平洋戦争当時の蔵人たちとの思い出を書こうと思います。
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