大髙醤油 昭和物語 ④修業時代 「雑品」の衝撃
こんにちは。大髙醤油先代社長、現在は会長の大髙和郎です。
シリーズでお伝えしています大髙醤油昭和物語、第4回目です。(前回はこちら)
醤油屋の後を継ぐ決心をして大学を卒業したものの、セールスマンの田村さんの紹介で神奈川県茅ケ崎市の酒問屋・林屋さんに就職したのが昭和38年。
東京五輪直前、日本は高度成長への階段を上り始めていました。
林屋さんはもともと販売していた日本酒が飛ぶように売れ、さらにビール、ウイスキーも同じくどんどんと売れました。好景気が続きうれしい悲鳴の毎日でした。
私はこの会社で、事務や営業を実習させてもらう約束でしたが、100%、運転手をやっていました。運転手が急速に不足した時代だったのです。
会社の倉庫の一隅に私の部屋がありましたが、そこは仕事の終わった社員の麻雀ルームでもあり、夜もにぎやかでした。
それでも若かったせいか、どんなにうるさくともぐっすり眠っていました。
そんな忙しい日々の中で、私に大きな衝撃と、その後の仕事への考え方に影響を与える思い出があります。
事務で使用する伝票は二種類あり、酒類は白い紙の伝票でそのまま「伝票」と呼ばれます。
もう一種類、割りばしやたわしなどは「雑品伝票」と呼ばれ、黄色い紙が使われていました。
醤油は、「雑品伝票」に分類されていました。
私は支店長に「なぜ醤油は雑品扱いなんですか?」と尋ねると、「そういうもんだよ」とごく当然のような答えが返ってきました。
酒を扱う店だから、というのもあると思いますが、これはショックでした。
私にとって醤油は実家の家業で、それなりの矜持を抱いていましたが、世間からみれば「雑品」、脇役に過ぎないのだ、と見なされているように感じたのです。
ともかく、雑巾の「雑」と同じ扱いにされていたことには参りました。
このことは、その後大髙醤油に戻ってから、私が企画や販売に励む原動力になっているように思えます。
今回はこのへんで失礼します。
次回からは、大髙醤油に戻り、醤油製造に加えて「つゆ」「たれ」の開発に乗り出すお話をいたします。
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